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つむぎいと
代表メッセージ
一人の人間として何ができるのか

小学生だった頃、大人になったら「虐待されている子ども達を助けたい」と思ったのが、私の原点です。
その原点の思いから、中学生時代には海外のストリートチルドレンに関心を持ち、自分で現場を見たいと東南アジアや、アフリカに行き、孤児院での活動や、学校建設に携わりました。
裸足や、ボロボロの洋服で「マネーマネー」と寄ってくる子供たち、目の前で連れて行かれる人身売買の現場。
片足、片腕がない子どもを見せ物のように抱え、お金を要求してくる母親、寄付金を自分の懐に入れている孤児院運営者など。
これは全て私が目にした現実です。
貧困、教育、医療、インフラなどの様々な問題と現実を目の当たりにし、自分の無力さに打ちひしがれました。
その一方で、キラキラとした子ども達の目や、お金や物はないながらもみんなで助け合って生きている側面も見て羨ましく
感じる瞬間もありました。
現地でたくさん助けられ、状況や環境が変われば助ける側にも助けてもらう側にもなることを実感したのを覚えています。
そして同年代の人たちと、現状や未来について語り合ったり、実際に現場を見たことで、支援という形への疑問、持続可能性の問題、現地の方々の機会を奪っているように感じた経験が、「助けたい」から、「一緒に未来を良くしていきたい」に切り替わった瞬間でした。
また、多文化共生に関心があり学びたいと、カナダ・トロントに行った時にコンパクトな街に世界中の人がいて、まさに世界を旅しているような感覚になりましたが、私が生まれ育った神奈川県央も外国人が多い為、海外の素敵なところは取り入れ、日本の素晴らしい文化、心は残していきながら、これからの時代の「共生」について考えていく必要があると感じています。
日本では、福祉の仕事を通して、様々な高齢者や障がいのある方、そのご家族様と関わってきました。
一般的に介護職は「誰にでもできる仕事」と思われがちですが、実際に現場で働くと決して「誰にでもできる仕事」ではなく「専門職」であると感じています。
高齢者が医療を受けていても、障がいのある方が、学校やご自宅、作業所等で過ごしていても、ご本人やご家族の人生は続き、日常生活を支える人は必要です。
訪問介護は、その日常生活に寄り添い、生活を支える仕事だからこそ些細な変化に気づき、医療に繋げることができます。
専門的な知識と視点を持ち、寄り添う姿勢が何よりも大事であると感じてきました。
私が訪問介護という仕事を選んだ理由の一つに、海外の活動で出会った看護師さんの影響もあります。
その方は、日本で訪問看護師として働いており、海外での活動や国内の犯罪を犯してしまった子どもたちの更生事業などにも携わる方で、パワフルで明るく優しい、愛に満ち溢れている方でした。
帰国してからも、海外での活動を続ける私のことをすごく応援してくれていましたが、数年後、病を患い残念ながら亡くなってしまいました。
その時は人生を模索しているときでしたが、無意識に「あの人のようになりたい」という思いがあったのだと思います。
私は医療の側面からではなく、より日常に近い、人の人生に携わるような仕事をしたいと訪問介護を選んだのは必然だったのかもしれません。
また、忘れられない言葉の一つにこんな言葉があります。
私が学生時代、部活動の最後の大会前にケガをした為、試合に出れなくなり雑用業務等をしていた時に恩師にかけられた言葉です。
「何もしてあげれなくてごめん、でも神様は乗り越えられない試練は与えない。みんなの為に、それがいつか必ず自分の為になるから。最後までよろしく頼みます。」
この時、しっかり見てくれている人は必ずいて、周りに自分のことを気にかけてくれている人がいる、それがどれだけ心強く、支えになるかという事を強く感じました。
福祉や教育の現場ではやりがいや、綺麗事だけでは済まされない現実、命が目の前にある中で、様々な社会問題について考えさせられ、「本当の幸せ、生きるとは何か」を人生の問いとして持ち続けています。
福祉も教育も正解がない世界だからこそ、関わる皆様とこの問いを持ち続け、人の数だけある正解を抱えながら、どのような環境や状況においても、それぞれの可能性、命を紡いでいきたい。
そして、その日々の先に希望が生まれていったら嬉しく思います。
多様な価値観の中で、日本、世界の福祉・教育を考え発展していってほしいと願って。
森林尚紀
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